ストーリー


第11話:初号機
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 金属の重さと冷たさを感じながら、白い扉を押し開けた。コンピュータのファンが作るもわっとした空気と、古い紙の匂い。それから、コーヒーの匂いも少し混じっているかもしれない。
 白衣に身を包んだ部屋の主は、私が入ってきたことに気付かない様子で、資料と格闘していた。
「調子はどう?」と声をかけた私に、「うーん、ぼちぼちかなあ」と、気のない返事を返す。
「先週話してくれたあれ、何かわかった?」
 私はそう言うと、足元に転がった小型スピーカーや、その他のよくわからない物を踏まないように注意しながら、部屋の奥へと進んだ。
「そうだねえ、わかったと言えばわかったし、わからないと言えばわからないし。……コーヒーでいい?」
 彼は椅子をクルッと回転させて、少し陰のある笑顔を作った。
「おそらくはね、楽譜に書いてない音量やテンポの変化っていうのがあったんだと思う。状況証拠は、それを物語ってる。でもね、どこまで行っても確証はもてないし、結局は、それが実際にどんな音楽だったのか、っていうところで行き止まり。堂々巡り」
 そこまで一気に話すと、彼は立ち上がって、〈んーっ〉とひとつ伸びをしてから、自分のカップを持って流し台に向かった。
 別に意見を求めているわけではない。いつもそうだ。吐き出すことによって頭のなかを整理するために、この人は私に話を聴かせる。だから私も黙って聴いて、彼の研究の内容には、基本的に口を挟まないようにする。
「研究熱心なのはいいけど、ちょっと働き過ぎじゃない?」
「そうかな?」と、彼は手を止めてこちらを振り返った。「確かに集中してる時間は長いけど……今はすごく楽しく研究できてるから、大丈夫だと思うよ」
「……それならいいけど」
 私は応接用のソファーに腰を下ろした。両手に持ったカップのひとつを私の前に差し出すと、彼も私の隣に座った。
「外の天気、わかる?」
 彼の身体がソファーに埋まると、私の身体が少しだけ浮き上がった。お尻を中心に感じる浮力が何だか気持ちいい。
「ごめん、私も今日、外、出てないんだ」私は彼の方を向いて申し訳なさそうな顔を作った。「調べよっか?」
「いや、いいよいいよ。何となく気になっただけだから」
 この部屋には、窓がない。この部屋、というか、地下深くに造られたこの施設には、どこにも窓なんてない。地上に出るには、専用のエレベーターに5分近く揺られなければならない。だから、私たちのような研究員は、施設内の簡易居住スペースで寝泊まりすることも多くなる。
 私も、昨日は家に帰らなかった。夢中になって研究していたら、ゲートの施錠時間を過ぎてしまったのだ。
「で、ご用件は何でしょうか?」
 ソファーに身体を預け、わざと改まった口調で彼は聴いてきた。
「ご用件がなくちゃ、来ちゃだめ?」
「いや、そんなことはないけどさ」彼は微笑みながら私の顔を覗き込んだ。「あるでしょ? 絶対」
 その、すべてを見通してしまうような、ほの淡く光る瞳に、私は弱い。〈その目で見るな〉と、いつも心のなかで叫んでしまう。
「……うん。バレバレかあ」
「うん。バレバレ」と、彼が返す。
 私はあきらめて「あのね、この前お願いした件なんだけど」と、話を切り出した。
「ああ、あれだね」彼は〈今、思い出した〉というような表情で答えてくれた。「確かにおもしろいと思うけど、ちょっと僕には難しいんじゃないかな。――でも、前向きに考えてみるよ」
「ありがとう。……やっぱり難しい?」
「うん。結局ね、僕がやっているのは……」
 そのとき、部屋の入り口が勢いよく開かれた。反射的に二人でそちらの方向を向く。
「おいアトゥーマ君、聴いてくれ! ついに、ついに初号機完成だよ! ……って、あれ?」
 所長は猛烈な勢いで叫んだ後、私たちを見て急にキョトンとしてしまった。
「ありゃりゃ、これはこれは。いやいや、お熱くお取込み中のところ、大変失礼しましたね、うん。いやはや、これはけっこうけっこう」と、所長は屈託のない不敵な笑みを浮かべた。
「ちょっと所長、そんなんじゃないっスよ」
 彼が慌てて否定する。
 ――そう。そんなんじゃなない。彼が言っていることは正しいし、所長もそれをわかった上で言っている。私の心だって、彼の言葉にまったく動くことはない。そんなんであるはずはないのだ。
 だって、私たちは、恋も愛も知らないのだから。


第12話へ続く



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