ストーリー
第12話:さあ、行こうか
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TAM所長は〈いい人〉だ。先の見えない過酷な状況下、この人のためなら、みんな働ける。
寝ても覚めても、所長の頭のなかにあるのは、研究、研究。誰よりも長く、そして熱く、彼は研究に没頭する。
そんなとき、彼の眼は、少年なのだ。研究が楽しくて楽しくて仕様がない――と、彼の瞳が雄弁に語る。TAM所長の近くにいると、なんだかこちらまで、ワクワクドキドキしてくる。その真っ直ぐな眼差しで、きっとみんな、忘れかけていた何かを思い出すのだろう。誰も口にはしないけれど。
「所長、初号機っていうのは……?」
話題を切り替えようと、アトゥーマがTAM所長に話を振った。
「あ、そうそう、それそれ。……ふふ、ついにできたんだよ」
そう言いながら、足元の小型スピーカーを軽快に跳び越え、所長は私たちの向かいのソファーに腰を下ろした。白衣の裾をふわっと翻し、とっておきのいたずらを披露する子どものような笑顔で、私たちの顔を交互に覗き込んでくる。
「亜空間転送装置。前に話しただろう?」
私は一瞬、アトゥーマと目を合わせた。そして、なるべく驚きを顔に出さないようにしながら、「確か、亜空間を利用した物体の瞬間移動、でしたよね」と、所長に尋ねた。
「そう。まだ試作段階だがね。この後すぐ、実験する。君たちも立ち会ってくれ」
私はもう一度、アトゥーマに視線を振った。しかし、今度はお互いの視線が交わることはなく、彼はTAM所長の方を向いたまま、静かに口を開いた。
「……信じられません。理論的に、どう理解していいのかわからない」
「理論? そんなものは俺にもわからいよ」
そう言うと、TAM所長は腕を組んで、ソファーの背にぐっと身体を埋めて話を続けた。
「大切なのは、理論じゃない。今、目の前にある現実だ。それを、我々が必要としているということだ。理論は、後から付いてくるだろう。何だったら、ギガスパイアが解き明かしてくれるさ。……まあ、奴らに初号機は死んでも渡さないがね」
「危険は、ありませんか?」
アトゥーマは釈然としない様子で食い下がった。……そう、彼はいつも、慎重に冷静に物事を考える。傍で見ていると、この人は、自分が渡る石橋を叩いて壊してしまうんじゃないか、なんて思ってしまうことすらある。
「ん? 危険? そりゃあ、危険だよ。めちゃくちゃ危険だ。だがね、我々には、もうそんなことを言っている余裕はないんだ。この亜空間転送計画が成功すれば、形勢は一気に逆転すらするだろう。逆に、この計画が失敗すれば、いくら君たちの研究が順調に進んだところで、我々に未来はない」
数秒間、沈黙が流れた。私は、何も口を挟むことができない。
「……確かに、そうですね。……わかりました。やりましょう。……どうも失礼しました」
アトゥーマはそう言って一礼すると、すっと席を立った。私もそれに続く。
「いやいや、君のその姿勢は、研究者にとって非常に大切なことだよ。今、君の懸念にとことん付き合ってやれないことは本当に心苦しい。済まなく思う。それと、いつも暴走しっぱなしの俺のブレーキになってもらって、君には心から感謝している」
「……いえ、恐縮です」
アトゥーマはもう一度、頭を下げた。TAM所長は、「さてと……」と呟きながら、膝に手をかけて立ち上がった。
「さあ、行こうか。……最高か? なんてね。わかる? 今の?」
TAM所長はおどけて満面の笑みをつくった。そして、ひょいっステップを踏んで、また足元のスピーカーを軽快に……と思ったら、靴の先を引っ掛けてバランスを崩し、危うく転びそうになった。
「うおっっと、あっぶないなあ。それにしてもこの部屋、スピーカーはあるけど、アンプないなあ」
そう言いながら、白ける私たちのことは気にも留めず、TAM所長は勢いよくドアから出ていった。
おそらく、今のような所長の言葉に笑えないのは、ギガスパイアに「笑い」を奪われた私たちの感性の方に問題があるからなのだろう。数百年前の世界ならば、私たちはきっと大爆笑していたはずだ。
――と、いうことにして、私は自分を納得させている。
「あ、所長! 実験はどこで!?」
アトゥーマが慌てて声をかけた。
「第2実験室! ちょっと準備するから、30分後によろしく!」
廊下から声が響いてきた。
私は、TAM所長は〈最高〉だと思っている。オヤジギャグのセンスは最低だけれど。